たなろぐ

旅行が趣味の香川県高松市のサラリーマンです。金・土・日に更新予定です。

四国みぎした55フリーきっぷ:2日目編・その1

 2日目は岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)の看板からのスタートです!岩崎弥太郎といえば知らない人はいないくらいの有名人ですよね。そう、三菱グループの創始者です。三菱UFJ銀行や、三菱重工三菱地所三菱商事などどれも日本を代表する企業として知られていますよね。日本で一番の街、東京・丸の内も三菱が造りました。

 そんな岩崎弥太郎ですが、彼は高知県安芸(あき)で生まれました。フリーきっぷのエリア内に安芸も含まれているので2日目はまずホテルTAMAIを出て岩崎弥太郎の生家へと向かいます。でも三菱グループの創業者が東京から遠く離れた高知県の生まれだったとは、、、にわかには信じられないですよね。(^_^;)

 岩崎弥太郎生家は土佐くろしお鉄道の安芸駅(あき)から遠いので車か自転車で行くことをオススメします。自転車は安芸駅に隣接する「ぢばさん市場」で無料で借りられます。店員さんに自転車を借りたいと言えば用意してくれます。(^_^)

 自転車、車を利用してひたすら北へ向かいます。上の写真はその道中に撮りました。見ての通りの田舎道です。この景色を岩崎弥太郎も見ていたんでしょうか、、、ということを考えつつ進みます。

  そしてついに岩崎弥太郎生家に到着しました!「家じゃなくて銅像じゃねーか!」と突っ込みを入れられそうですが生家の隣にあるこの銅像も見どころの1つです!何故なら巨像大好き高知県民の特性をここでも見られるからです。(^_^;)

 というのは冗談ですが大きくて躍動感がある岩崎弥太郎像は見応えがあります。手を大きく広げる姿からは日本経済に君臨する三菱を連想させます。是非、実物を見て下さい。ちなみにこの岩崎弥太郎像も太平洋に向かって立っています。高知県民と太平洋は切っても切れない関係の様な気がしますね。

 *当初、この銅像は安芸駅近くに設置されていましたが、現在は岩崎弥太郎生家に移設されています。この記事は移設後に書かれた記事です。

 おまたせしました!銅像を見た後はいよいよ岩崎弥太郎生家です!上の写真が岩崎弥太郎が生まれた家です。岩崎弥太郎生家を説明したパネルには「藩政時代の中農の屋敷」とありました。その説明通りこの家からは巨大グループ・三菱というイメージを感じません。ただ、丸の内の街にある巨大でインテリジェントなビルも始まりはこの家だったと思うとひたすらに感慨深いです。

 ちなみに三菱地所のCMに「三菱地所を、見に行こう。」というものがありますが、三菱地所を見に行く前にまずこの家を見て欲しいです。CMのYouTubeはこちら!

www.youtube.com

  まだまだ見どころは続きます!敷地内には家に面して造られた小さな庭があるんですが、これがすごいんです。上の写真を見て下さい。ただ無造作に石が並べられているわけではありません。なんとこの石、岩崎弥太郎が少年期に日本列島に見立てて並べたそうです!この庭を説明したパネルに書いてある文章も引用してみます。

岩崎弥太郎生家・庭の説明パネルより引用*

日本列島の石組み

 弥太郎が少年期に、天下雄飛の夢を託して、自ら石を組んだと言われています。「(日本列島は)我が庭の内にあり」といって庭を眺めていたことから、弥太郎の器の大きさを伺い知ることができます。

 上の写真は石の配置を分かり易く解説したパネルです。家の縁側に立ってこの庭を眺めると四国は手前では無く庭の奥になる配置になっています。高知を家の外(太平洋)に向かって配置したと考えると、岩崎弥太郎は日本というフィールドに飽きたらず世界まで見据えていたのかもしれません。これは想像が過ぎるかもしれませんが。(^_^;)

 敷地内には他にも三菱グループ協賛の記念碑が建てられています。三菱グループにお勤めの方々にとってはグループの源流を知るという意味でもオススメできそうです。

 岩崎弥太郎生家。どうだったでしょうか?岩崎弥太郎が生まれた当時の高知は険しい山々と太平洋に囲まれていて人やモノ、情報の流入が他の地域と比べて少なかったはずです。そんな不利な環境からまさに”大志”を抱いて東京へ打って出た彼の凄さに私は感服させられました。(^_^)

 徳島から室戸岬、そして岩崎弥太郎生家までの道のりはこの旅のハイライトでした。道のりまで含めるのが旅の楽しみですね。でも2日目はまだ終わりません。次回は「その2」を書きます。(^_^)

*安芸駅ぢばさん市場

HP・安芸駅ぢばさん市場

マップ・https://goo.gl/maps/GZAkEZTdstr


岩崎弥太郎生家

HP・岩崎弥太郎生家

マップ・https://goo.gl/maps/sG3oRoidnDC2